【灰と幻想のグリムガル】アニメOP『Knew day』考察
皆さんこんにちは、遊星です。
灰と幻想のグリムガルのアニメが放送されてから、早いものでもう一年以上も経過しています。
僕はグリムガルを見るまで、いわゆる深夜アニメは全く見たことがなく、ある種の偏見のようなものを持っていました。
ですが、グリムガルを見てからそういったものがただの思い込みであると気がつき、自分の愚かさを痛感した記憶を今も鮮明に覚えています。
むしろ、毎シーズン同じ俳優、似たような設定で作り込まれている、昨今の連続ドラマの方がチープに感じてしまうほどです。
さて、今回は灰と幻想のグリムガルの考察として、アニメOP曲の「Knew day」を掘り下げていきたいと思います。
「Knew day」について
このOP曲は、(K)NoW NAMEにより作られた楽曲になります。
(K)NoW NAMEは、最近になって活動を開始した、主にアニメをメインとするメディアに対して、作品を提供するエンターテイメント集団、といった捉え方でよいかと思います。
(K)NoW NAMEは、担当したアニメに特化した曲作りを信条としているので、例えば、アニメに出演している声優陣が歌う曲や、有名アーティストによるタイアップ曲といったものよりも、よりそのアニメの本質に迫る曲創りをすることが可能であると感じています。
従って、(K)NoW NAMEが担当するべきアニメは、グリムガルのようなやや重めなテイストのようなアニメであると考えています。
2017年4月期でいうとP.A.WORKSの「サクラクエスト」を担当しています。
サクラクエストは、P.AWORKSの「働く女の子シリーズ」の第3弾で、萌えよりも、やや重めな内容を扱っていますね。
逆に、いわゆる萌え系のアニメで作り込もうとすると、視聴者のニーズと噛み合わない可能性が出てきてしまいます。
萌え視聴者は、作り込まれたものよりも、単純に声優が可愛い曲を歌っている曲を望んでいます。
従って、重めなテイストのグリムガルのOP、ED、作中歌といった全てを(K)NoW NAMEが一括して担当したということは、より重厚なものを望む視聴者のニーズと見事にマッチしているという意味で、非常に優れた選択であったと言えます。
「Knew day」のタイトルに込められた意味
さて、ここからは曲の考察に入っていきます。
まず始めに、タイトルの「Knew day」についてです。
これを直訳しようとすると、
・Knew:知っている(Know)、という動詞の過去形。知っていた。
・day:日
となるので、
Knew day:日を知っていた
という意味になります。
ですがこれでは意味がよくわかりませんよね。
より掘り下げていきましょう。
Knewに込められた意味
このKnewという単語には、2つの意味が込められているのではないかと考えています。
まず1つ目は先ほどご説明した、「知っていた」という意味。
2つ目について。
このKnewという単語には、新しいを意味するnewが含まれていますよね。
また、Knewの読み方も、newと全く同じ「ニュー」となっています。
よって、Knewには「新しい」といった意味も込められていると考えられます。
以上より、本来持つ意味の、「知っていた」という意味と、「新しい」という意味の2つが、Knewには込められていると結論することができますね。
これらをまとめてみると、Knew dayには、
新しい日々を知っていた
といった意味があることがわかります。
ですが、これでもまだスッキリしません。
では、ここにハルヒロたちが置かれた現実、つまり突然グリムガルに現れた、ということをミックスしてみましょう。
ハルヒロたちは、おそらく現代日本で、今日という日を当たり前に生きていける日常を過ごしていたでしょう。
ちょうど、私たちと同じように。
そういった状況では、新しい日、つまり明日が来ることは当たり前に感じてしまいます。
私たちも、何の根拠はなしに、必ず明日が来ると確信しています。
ですが、突然グリムガルに現れて、明日まで生きられるかどうかすら分からなくなってしまった。
つまり、本当は知っていたはずの明日を迎えられるのかどうかすらわからない、という不安が常にハルヒロたちには付きまとっているのです。
以上より、Knew dayには、
新しい明日を知っていたはずだった
という意味が込められていると結論することができます。
歌詞について
ここからは、歌詞について考察していきます。
擦り傷だらけの昨日を繰り返して
僕らは拓く 希望の明日を
まず「擦り傷」という単語に注目します。
グリムガルに来てから、自分たちの思うようにいかないことだらけで、パーティーの仲間が死んでしまうということだって起こらないことでは全くありません。
そういった傷を表現する為には、単に傷という表現では不十分です。
マナトが死んでしまったことを考えてみましょう。
敢えてマナトパーティーと表現させて頂きますが、マナトパーティーのメンバーはマナトの言葉を借りると、「欠点の方が目につく」ような人間ばかりで、同期のレンジパーティどころか、義勇兵史上最低辺クラスのパーティーであることは疑いもありません。
これは、原作9巻中のメリィの言葉である
「実際にパーティに加わってみても、【この子たち】に先があるなんて、これっぽっちも思えなかった。初心者のうちは誰でもこんなものだ。この子たちにそんな月並みな慰めの言葉をかける者がいるとしたら、確実にその裏には悪意がある。はっきり言って、ここまでひどい見習い義勇兵はめったにいないだろう。神官に不安感しか与えない。見事なまでに恐ろしく未熟なパーティだった。」
という部分からも読み取ることができます。
つまり、マナトパーティーにとっては、当然ですがマナトはなくてはならない存在だったのです。
言い換えれば、最も失ってはならない存在。
それゆえ、ひねくれ者のランタでさえマナトの言うことは素直に聞くくらいに、パーティーの全メンバーに慕われていたし、尊敬されていました。
シホルに関しては好きでしたし、異性として。
よって、そういった人間の心理として、
マナトのような人間がいなくなるわけない
と考えてしまうことは当然です。
加えて、現代日本から召喚されたハルヒロ達にとっては、身近な人間の死、特に同世代の人間の死はほとんど起こり得ないことです。
以上より、マナトを失ってしまったことは、彼らにとって青天の霹靂でした。
上手くいっていた感覚があった、だけど突然マナトを失ってしまった。
そういったことを踏まえて、単に傷と表現するのではなく、「擦り傷」という、避けられない傷といった印象を与えるために、この言葉を使用したと考えられます。
次に、
僕らは拓く 希望の明日を
の「拓く」という単語に目を向けてみましょう。
一般的には、ここの「ひらく」という部分に当てる漢字としては「開く」が適切でしょう。
ですが、敢えて「拓く」という単語を使用している。
この拓くという表現には、0から積み上げていく、というニュアンスが込められていると考えられます。
開拓、という単語があるように、何もないところからひとつずつ積み上げていく。
お金だってないし、力だって、記憶だってない。
それでも、今ここから積み上げていくしかない。
そういったハルヒロたちの想いをこの「拓く」という言葉に乗せているのだと思います。
このちっぽけな両手に
何が残っているだろう
仰いだ声は空へ散っていった
この一連の歌詞は、グリムガルに記憶すらない状態で「現れた」ことに対するハルヒロたちの不安感を表現しています。
記憶も何もかも失っているこの状態で、とてもちっぽけに見える自分の両手に何が残っているのだろうか。
こういった言葉をつぶやいたとしても、Twitterなどはあるわけもなく、見知った顔も誰一人としていない。
誰に届くわけでもなく、空へと散っていってしまう。
という寂しさ、孤独感を表しています。
手に入れた現実は燻んでて
目の前が見えなくなっても
一緒なら長く続くこの道を
進んで行ける
そして、グリムガルでの生活にようやく慣れてきはしたものの、目の前にある現実は未だによく分からない。
様々な困難がハルヒロたちを襲い、あまりに残酷な現実で目の前が見えなくなってしまうこともあります。
ですが、グリムガルで得たかけがえのない仲間たちとなら、この先も続く道を進んで行けるに違いない、というハルヒロたちの強い想いが見てとれます。
埃にまみれた絆をつないでく
過去と未来 背中合わせの僕らは
ここからサビに入ります。
まず「埃にまみれた絆」という単語に着目してみます。
単に、仲間との信頼関係ということなら、「絆」という表現でよかったかもしれません。
現代日本でいうならば、「絆」という表現で十分だったでしょう。
ですが、グリムガルでは信頼関係などという生易しいもので結ばれてはいません。
いつだって死ぬ危険性があり、常に「過去と未来」の間で押しつぶされそうになっているのです。
つまり、生死を共にする仲間という覚悟から、綺麗な絆などではない、という意味で「埃にまみれた絆」という表現になっているのではないでしょうか。
また、何があっても普遍的な関係、といった意味もこの「埃」には込められているのではないかと思います。
間違いだらけの答えを繰り返して
光を求め手を伸ばすよ 何度だって
そして、こういった仲間たちと、毎日毎日自分たちの「答え」を追い求めますが、それは間違いばかりです。
その間違いで、仲間が死んでしまうことだってあります。
ですが、間違いを恐れず、共に進んで、いつか「光」を手にしたい。
この光が何なのかはまだハルヒロたちにはわかりませんが、個人的にはソウマ率いる「暁連隊」の最終目的なのではないかと思っています。
そのために何度だって手を伸ばす、というハルヒロたちの強い決意が見て取れますね。
以上が灰と幻想のグリムガルOP『Knew day』の考察になります。
2番に関しても掘り下げたかったのですが、少しボリュームが出すぎてしまうのと、自分の考察不足などがあるので、また次の機会にしたいと思います。
(K)NoW NAMEは非常に洗練された歌詞を練り上げていて、時間が経てば経つほどわかってくることが沢山あります。
もちろん、今回の考察はあくまで私個人から見た1つの解釈に過ぎず、人それぞれの解釈があってこそだと思います。
今回の考察で何か感じたことや、違和感などありましたら、遠慮なくコメントして頂けると嬉しいです。
コメントには、記事にて丁寧に対応させて頂きます。
今回は以上になります。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心よりの感謝を。
遊星